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1000回目の施術

 

昨日、施術1000回目を通過させていただきました。

この1000回に関わっていただいた皆さま、身をゆだねていただいた皆さまに心より感謝申し上げます。

 

何の気なしに出あい、悩むことも考えることもせず流れのままに学び始めた整体です。

師匠の西田聡先生は、普通の人でありながら、確固たる芯をお持ちゆえに心整体法という彼が伝えている手技のまわりではやはり特別な人である、というようなお方です。

 

師に対して「普通の人」という表現を使うのは失礼かもしれませんが、特別であり、なおかつ普通である、という感じ方をしてしまっているのがわたしの正直な気持ちです。むしろそうであるからこそ信用に値するというのか、共にあれるというのか、大きくも小さくもならなずそのままであるということはとりもなおさずだいじなことだと、師のあり方を見ながら思います。

 

さて。

施術1000回前後の感覚、というものを、自分のために記しておきたいと思います。

 

最近は施術しながら、結構ぼぉっとしています。

感じようとしていることは間違いないのですが、ぼぉっと感じているようです。ここに至るまでの途中ではもっと神経を研ぎ澄ませ、集中して感じようとしていました。今はそうではないのです。

 

ぼぉっとした中に、ふと湧き上がるのか、どこかから降りてくるのか、気づくとある想念が生まれています。ことばが生まれているのか、感覚がいつのまにかことばに集約されていくのか、よくわかりません。

 

ただ何となく、こうじゃないか、という感覚があって、施術が終わるとその感覚をクライアントさんに話します。相談する、という感じかもしれません。「こんな感じがしたんだけどどうなんでしょうね?なんなんでしょうね、これ?」みたいな。

 

わたしの感想を聞いたクライアントさんの側で、何か発見することとか思い出すことが生じる場合もあります。そうでないときもあります。みなさん、からだに不調があって来られているので、そんなぼぉっとした感覚の話よりも、原因の見立てと解決策を明確な言葉で伝えてほしいと思っている人がいることは知っています。でも残念ながらわたしには原因はわかりません。

 

わたしがこの整体を1000回やって知っているのは、『からだは本当にすごい』ということにつきます。からだが常に変化しようとする力も、宿主を淡々と守ろうとし続ける様子も、涙が出そうなくらいすごいと思います。

 

顕在意識を使ってどんなに研究して、考えて、実験しても、からだのことを100%理解することはできないだろうと思います。わかったと思った瞬間に姿を変えるような、するすると逃げていくような、そんな感じがします。変わらない、という状態が起こり得ない。だから、わかろうとすることよりも信用することの方が圧倒的に変化を起こしうる。施術1000回時点ではそのように感じています。

 

触れてゆるめる以外、特段私にできることはないのでぼぉっとするようになったのかもしれません。緊張やこわばりからいくばくか解放されると、その後のことはからだが勝手に引き受けていきます。わたしにできることはゆるめることと、クライアントさんの話を聞くことくらいです。

 

1000回施術をしてきた現時点で言えるのは、自分のからだを大切に思う人ほど、からだの力を信じる人ほど、解放されていくということです。変身を遂げていきます。本当はやりたかったことをやり始める。新しい人生をいき始める。多くはないけれど、そういう人がたまにいます。わたしのこの抽象的であいまいで結論のない、モヤモヤするような物言いに多少なりとも感じるものがある人、なんとなくわかる気がするという人は、拓きたい扉のすぐそばにいらっしゃる感じがします。

 

わたしがゆるめる整体でしたいのは、そういう人が歩いている道にかかっている蜘蛛の巣をちょっと払ってあげるような、霞に息を吹きかけて視界をクリアにしてあげるような、そんな営みです。わたしにとって、ゆるめる整体は魔法のツールです。このツールを受け取ることになった流れ全体に掌を合わせつつ、あらためてこれまでの1000回の1回1回に関わってくださった皆さまに感謝いたします。今日からまた、1回1回のからだとのコンタクト、そしてクライアントさんとの対話を、大切に味わいながら積み重ねていこうと思います。